ヤングケアラー」とは誰か 家族を気づかう子どもたちの孤立 村上晴彦 著

ヤングケアラーという言葉をいつ知った。

この本によると毎日新聞の調査報道にて介護を担う若者の数を3万7千100人と具体的調査結果を出し、その後、大阪府でも実態調査に乗り出したと言われ始めたことから

近年この「ヤングケアラー」という言葉が新聞やテレビなどでも取り上げられる様になって来た。紙面やニュースの特集などで組まれるこの問題。ただ著者はそもそもヤングケアラーとは誰か?それに対して過去、その言葉が生まれる前の人たちからのインタビューからその「誰か」を問う、そしてそのインタビューの中から見えてくる。

始まりは著者のところへわざわざ新幹線を使ってやって来たゼミ生の話から始まる。彼女は母親が信仰宗教にハマっておりそのケアをしながらも社会で生きていた。この時、著者もそれほど深刻に考えずただ久しぶりの再会を喜んで終わるのだがその後、他のゼミ生から彼女が自ら命を絶ったことを知る

あれは彼女のSOSだったのでは無いだろうか。そこからヤングケアラーという言葉の持つ意味と認識の乖離を複数人のインタビューから紐解いていく。

視点の違い

世間一般に浸透しつつある「ヤングケアラー」という言葉はどちらかといえば「家族の介護などで学校に行けなかったり家の家事全般を行うことをすることで満足に学習ができない子供」と言ったようなものを指していると思われる。だがこの本を読んでいて感じたのはその認識ではこの問題は解決することが無いな。と思わせられる内容が書かれている。

この著者のインタビューに答えてくれている数人のいわゆるヤングケアラーと言われる人たちが抱える問題について会話を通して見ていくと皆が自分がケアしているということが当たり前の様で普通と認識していたという人もいる。また、そのケア対象となる親(母親のケースが多いが)自身が薬物中毒や異常なまでの子供への所有欲など様々な問題を抱えていると読んだ側の視点からは感じるのだが当事者は確かに「死ねばいい」「怖い」「自分がいなくなる」そんな言葉を語るもののその対象を愛しておりまた、そのケアされる側も愛しているということから、逃げ道を失い結果として破綻が起きるという様にも見えた。それを支えるはずの学校や地域、行政機関の知っていてのそのままなのか。無関心なのか。幸いにもこの本に登場する人たちはNPO法人こどもの里という居場所を与えられ、また人によっては支えてくれる大人がいたことで進むことができたのだがどのケースにも当てはまるのがこれは子供だけの問題では無いということである。

最近ではこども食堂などと言ったサービスを始める企業や団体も出て来た。しかし、読んでいて感じたのは必要なケアは子供だけでは無く家族も含めてなのでは無いか。その点が重要視されるべきでありそこまで踏み込んでこそこの問題は解決まで至らないのでは無いか。という疑問を投げかけている。

実際、薬物やオーバードーズを繰り返しながら子供にいわゆるネグレクトと言われる状態の両親であっても子供を愛している、子もまた親や家族を大切に思うからこそ起こる問題とも言える。

つまり、ヤングケアラーという言葉で一括りにしてしまい問題の焦点を子供だけに当てるのでは無くその親、家族全体をフォローすることが必要では無いのかという問いかけを行なっている。親自身が地域や行政のサポートを受け自立することが子供のケアにもつながる。勿論、それは親の介護という点においても同じくどこまでの介入を行政がするのか。地域社会がどこまで見守るのか。そう言った核家族化から起こる繋がりの綻びがここにも現れていると感じた。

地域に根ざしたその子、そこ家庭の「居場所」を作りただ若者の介護だけに焦点を当てるのでは無く。その家族を包括し「伴走型支援」の必要性を説く著者の話は今後の少子高齢化や氷河期世代の切り捨てを行なってきた社会が向き合っていかなければならない問題であり人事では無いと感じる本でした。

こども家庭庁ホームページ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です