業務委託という名の罠(フリーランス)
自由な働き方がもたらしたのは善か悪か?
春闘の季節と言うこともありテレビや新聞にもベースアップの記事が一面に掲載されていることが多いこの時期ですが国は最低賃金を全国的にベース1,000円を目指すとも記載されていました。コロナ禍に入った頃だったでしょうか?ウーバーイーツや在宅ワークなど含め、時間や場所に囚われない働き方と言う物が注目を集めました。あれから3年、世の中はどうなったのでしょう?実際にそれで成功を納めた人もいるのかも知れません。しかしその道には辿り着けなかった人たちの声が呪いの様に響いている様にも世間を見ていて思います。(世間知らずの私が言うのもなんですが)
人はいつでも抜け道を探す。
これは私が前職で働いていた金融関係でもそうですが法は人をより良い方向へ導くべきとは思いません。法は所詮、人が動物であることを忘れる為の線引きをする手段の一つでしか無いと思っていますがそれでも良い道を模索するのが人だと思いますがいつでもこの隙間を突いた人間が得をする(昔から言いますね。正直者は馬鹿を見る。)という構造はイタチごっこの様に続いています。
業務委託による責任の押し付け
確かに業務を委託する以上、委託された側はそのルールに則り業務を遂行する義務が発生します。ただ直接雇用契約では無いことを利用し責任の所在を押し付けるがルールのいい部分だけを享受するというのはどうなのでしょうか。末端への過度の押し付け、実質的な雇用関係に近い形態にも関わらず、その責任を業務委託という言葉で封じ逃げるのは企業としてどうなのでしょう。勿論、契約を締結を了承した側にも責任はありますが所詮は一個人と大企業、中小企業が大企業の圧力に屈するのと同じく明確な責任転換、それによって利益を得ることは正しい企業のあり方なのでしょうか?
四方よしを目指すべき
近江商人の言葉に「三方よし」という言葉があります。これは売り手も買い手も満足することで社会に貢献出来てこその商売。という考え方です。ある種、この業務委託というものはこれに近しいと私は思えます。委託する企業、委託を受けた個人、そしてそれを受け取る顧客、それによって社会に貢献する。それこそが本来の目指すべき形だと私は思います。
まとめ
業務委託を否定する訳ではありません。選択肢として必要な存在だと思っていますし私自身も受けたこともあります。ただ多様性を求める社会であるならば働き方の多様性、それを良い手段として扱われる社会にならない限りは失われた20年、30年は40年、50年と続いて行くでしょう。そうならならない為の知恵と勇気をこれから社会に出て働く人、働いている人、会社という枠組みを飛び出す人には必要になって来ると考えています。